株式会社 シナ忠

株式会社シナ忠

SHINCHU Co., Ltd

時代を超えて、おもてなしの心を受け継ぎ、150年。

時代を超えて、おもてなしの心を受け継ぎ、150年。

時代を超えて、
おもてなしの心を受け継ぎ、
150年。

私たちについて

私たちについて

How About SHINACHU

徳川末期の慶応元年、名古屋富沢町(現在の錦3丁目)に旅館「信濃屋」を開業したのが、飲食業とのかかわりの初めです。

明治41年、当時の名古屋駅前(現在の笹島交差点角)で、開業していた支那忠旅館に乃木希典将軍がご宿泊された一棟を「信忠閣」と名付けていただきました。
昭和28年中国料理の経営を始めるにあたり、店名を「信忠閣」として今も続いています。

現在、シナ忠は飲食店経営と食品製造・販売、食品ブランドプロデュース、食品催事イベント代行に携わっています。
私たちはいくつもの時代を超えて受け継がれてきたおもてなしの心で、お客さまをお迎えしています。

シナ忠のあゆみ

シナ忠のあゆみ

SHINACHU History

私たちシナ忠はお客様に支えられながら150年という長い歴史を築くことができました。
その歴史の一端をご紹介させていただきます。

シナ忠のはじまり

シナ忠のはじまり

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シナ忠旅館玄関

シナ忠の語源は「信濃忠」または「志那忠」と言われています。
創業者の「信濃屋忠右ェ門」を略して通称となったものです。

天明期(1781年~1789年)にすでに名古屋で事業を営んでおりました。
慶応元年(1865年)、四代目忠右ェ門が現在の名古屋市中区錦三丁目近辺で旅館「信濃屋」を開業したのがはじまりです。

信濃屋はいつの間にか「信濃忠」「志那忠」と名前を変えお客様に支えられていきました。
様々なお客様がお泊りになられる中、「信濃屋」から「シナ忠」へとなり、名古屋でも屈指の旅館として3代100年の間、愛されてきました。

ホテル・ズ・プログレス

ホテル・ズ・プログレス

明治20年(1887年)に、現在の名古屋市中区にて「洋式ホテル志那忠(ホテル・ズ・プログレス)」を開業いたしました。
チェンバレン*の著書にも、名古屋におけるホテルとしてその名前が登載されています。

「ホテル・ズ・プログレス」の名称は現在も洋菓子ブランドとして名前が残っています。

*バジル・ホール・チェンバレン
明治時代のお雇い外国人。英語を指導したほか、日本文学や古典の研究をしていた。

洋菓子ブランドとして復刻した「ホテル・ズ・プログレス」

洋菓子ブランドとして復刻した
「ホテル・ズ・プログレス」

旅館志那忠支店

旅館志那忠支店

明治末年ごろの旅館志那忠支店

ホテル・ズ・プログレスの開業の同年、現在の名古屋市中村区名古屋駅(スパイラルタワーズ)の近辺にて旅館志那忠支店を開業いたしました。

明治22年(1889年)に東海道線が開通し、笹島駅(現在の名古屋駅)が旅館の前に設けられたため、更なる繁栄を迎えました。
志那忠は当時、駅弁の事業も行い、名物の一つとして当時のチラシにも名前が刻まれています。

実業家・白木周次郎

実業家・白木周次郎

四代目忠右ェ門の弟である白木周次郎は、当時業界にまん延していた、宿代の他に宿泊客が館主に心付けを支払う風習をやめ、合理的な宿泊料を定めるための全国運動を行い、これを達成しました。

また当時の名古屋市市長・大岩勇夫とともに、名古屋市公会堂を建設いたしました。
シナ忠が当時ディベロッパー的な存在としても活躍していたことを示すエピソードの一つです。
この建物は現在も様々な催しで活用されており、国の有形文化財にも登録されています。

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白木周次郎(77歳)

信忠閣​

信忠閣​

乃木将軍が書かれた「信忠閣」

明治41年(1908年)、乃木希典(のぎ まれすけ)将軍が宿泊されたとき、その一棟を「信忠閣」と名付けました。
これがのちの中華料理店「信忠閣」の由来となり、現在まで続いております。

復興と再生

復興と再生

昭和13年(1937年)、中国の青島で「青島観光ホテル」を開業しましたが、その後勃発した太平洋戦争を経て志那忠旅館は昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で灰燼に帰し、青島観光ホテルは終戦後、中国軍に接収されてしまいます。

シナ忠は戦後の焼け野原で飲食店業を営み、その後中華料理店として再生。
順調に業績を伸ばし、三越や松坂屋などの百貨店、名駅や栄などの市の中心部にいくつも店舗を構え、中華料理のごちそうが食べられる名店として親しまれ続けています。
現在は栄のオアシス21内に店舗があります。

信忠閣 オアシス21店

青島観光ホテル

信忠閣 オアシス21店

昭和13年(1937年)、中国の青島で「青島観光ホテル」を開業しましたが、その後勃発した太平洋戦争を経て志那忠旅館は昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で灰燼に帰し、青島観光ホテルは終戦後、中国軍に接収されてしまいます。

シナ忠は戦後の焼け野原で飲食店業を営み、その後中華料理店として再生。
順調に業績を伸ばし、三越や松坂屋などの百貨店、名駅や栄などの市の中心部にいくつも店舗を構え、中華料理のごちそうが食べられる名店として親しまれ続けています。
現在は栄のオアシス21内に店舗があります。

青島観光ホテル

信忠閣 オアシス21店

沿革

沿革

Company History

昭和22年5月

愛知県名古屋市中村区笹島にシナ忠旅館を復興し、株式会社シナ忠を設立

昭和28年

愛知県名古屋市中村区笹島に復興したシナ忠旅館に隣接して「信忠閣」開店

昭和29年

愛知県名古屋市名東区、愛知カンツリー倶楽部内に食堂を開店

昭和32年

愛知県名古屋市中村区、新名古屋ビル地下食堂街に「信忠閣」を開店

昭和43年5月

愛知県名古屋市昭和区に「八事ファミリーレストランシナ忠」を開店

昭和44年11月

愛知県名古屋市中区栄、サカエチカに「信忠閣」を開店

昭和58年3月

愛知県名古屋市昭和区、ファッションアベニューシンシア山手に「信忠閣」を開店

平成9年3月

ナゴヤドーム2F・5Fコンコースに売店「信忠閣」、ナゴヤドーム大幸横丁に「信忠閣」をオープン

平成14年10月

愛知県名古屋市東区、オアシス21に「信忠閣オアシス21店」を開店

令和3年11月

西洋菓子ブランド「ホテル ズ プログレス」プロデュース。百貨店・WEBにて販売スタート

令和4年11月

宅地物件取引業の免許を取得

事業紹介

事業紹介

Business Introduction

私たちシナ忠は3つの事業を中心に、お客さまの豊かな生活を応援しております。

食堂経営

食品事業として
中華料理店「信忠閣」を
経営しています。

洋菓子事業

食品ブランドプロデュース事業として
洋菓子ブランド「ホテル ズ プログレス」を
企画しています。

不動産事業

不動産事業として
不動産の売買、
仲介等をしています。

食堂経営

食品事業として
中華料理店「信忠閣」を
経営しています。

洋菓子事業

食品ブランド
プロデュース事業として
洋菓子ブランド
「ホテル ズ プログレス」
を企画しています。

不動産事業

不動産事業として
不動産の売買、
仲介等をしています。

会社概要

会社概要

Company Profile

名称

株式会社 シナ忠

所在地

愛知県名古屋市中区栄2丁目1-12 ダイアパレス伏見206号

所在地

愛知県名古屋市中区栄2丁目1-12
ダイアパレス伏見206号

電話番号

052-963-5801

設立

昭和22年5月31日

資本金等

4,000万円

代表者

代表取締役/加藤 徹朗

事業内容

食堂経営(中華)・食品製造・食品販売・食品ブランドプロデュース・不動産事業

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